訴えの利益及び医薬発明の進歩性に関する大合議判決
地域:日本
業務分野:特許
カテゴリー:判例
・日本ケミファ株式会社及びX 対 塩野義製薬株式会社及びアストラゼネカUKリミテッド、知財高裁大合議判決、平成30年4月13日、平成28年(行ケ)第10182号及び第10184号
1.背景
本件は、特許第2648897号(以下「‘897号特許」という。)に係る無効2015-80095号事件について特許庁がした審決に対する取消訴訟である。’897号特許は、新規化合物を保護する特許であり、高脂血症の治療薬として有名なクレストール®の有効成分をその範囲に含む。塩野義製薬株式会社(以下「塩野義製薬」という。)が特許権者である。アストラゼネカUKリミテッド(以下「アストラゼネカ」という。)が専用実施権者である。
Xは、平成27年3月31日に、’897号特許について、特許無効審判を請求した。その日は、平成26年の法改正前の特許法(以下「平成26年改正前特許法」という。)が有効な最後の日であった。平成26年改正前特許法では、何人も特許無効審判を請求することができた。(注:平成27年4月1日以降、特許無効審判を請求できるのは利害関係人のみである。)
特許無効審判の期間中に日本ケミファ株式会社(以下「日本ケミファ」という。)がX側に補助参加し、アストラゼネカは塩野義製側に補助参加した。特許庁は、Xの請求を棄却し、‘897号特許を維持した。日本ケミファ及びXは、それぞれ知財高裁に訴えを提起した。
知財高裁での審理中に’897号特許の存続期間が満了した。しかし、日本ケミファ及びXは、訴訟を追行した。
当初より事件を担当していた裁判体は、2つの事件を併合し、大合議へ回付した。
本件は、知財高裁が設立され、大合議システムが開始してから12番目の大合議事件である。大合議システムは、知財紛争が事業活動や産業経済に影響を与えることから、高等裁判所の段階で信頼性のおけるルールを定め、統一した判断を行うために導入されたものである。
2.争点
本件の争点は以下の2点である。
(i) 特許権消滅後の知財高裁段階での訴えの利益
(ii) 化合物の一般式が、具体的な選択肢の特定のない膨大な数の選択肢(下位概念:ここでは具体的な化合物)とともに開示された場合の従来技術文献に記載された発明に関する認定
3.判断
3.1 訴えの利益
知財高裁は、日本ケミファ及びXの訴えの利益を肯定した。
知財高裁は、特許庁の審決に対する取消の訴えの利益は、特許権消滅後であっても、損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情がない限り、失われることはないと判断した。
傍論において、知財高裁は、平成26年改正特許法(特許無効審判を請求できる者は、特許について利害関係を有する者のみに限定される。)の適用される事件にも、上記の論理が適用できると判断した。
3.2 膨大な数の選択肢を有する従来技術発明の認定
知財高裁は、本事件において、具体的な選択肢を刊行物公知発明とは認定できないと判断した。
知財高裁の判断の概要は以下の通りである。
- 刊行物に記載された発明は、当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない。
- 当該刊行物に化合物が一般式の形式で記載され,当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には,特定の選択肢に係る技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り,当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできず,これを引用発明と認定することはできない。
4.考慮点
上記判決は確定した。
これまでの裁判例において、審決取消訴訟における特許権消滅後の訴えの利益の争点について、争われる例は稀であった。本事件の判断によって、この争点に決着がついた。この判断によると、訴えの利益が否定されることはほとんどない。潜在的な侵害者は、自らの具体的な実施形態を開示しなくても、知財高裁へ審決取消訴訟を提起することができる。
一般式として開示された従来技術の認定の様式は、化学分野における従来及び現在のプラクティスに合致する。本事件の判断は、選択発明の概念と親和的である。この判断自体は、進歩性に関わるものであるが、この判断に用いられた論理は、膨大な数の選択肢がある場合の上位概念から下位概念への補正・訂正に影響を及ぼす可能性がある。
進歩性に関する一般的な判断手法に関し、本判決は、伝統的な総合考慮型(多数の要因を総合的に考慮する。)のアプローチを再確認し、課題-解決型のアプローチ(課題が重視され、その課題は、請求項に係る発明と最も近い従来技術との相違点を反映する。)は用いなかった。今後、進歩性の枠組みに関する理論的な議論の深化が期待される。
執筆者
法律部パートナー 弁護士
末吉 剛 すえよし つよし
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